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『スターウォーズ 最後のジェダイ』ファーストインプレッション -神無き時代に生まれた新たな神-

本作は『スターウォーズ』シリーズとは一体なんなのか、あらゆる物を削いでいった時に『スターウォーズ』に最後まで残る物は何か?ということを突き詰めて紐解き、批評する作品だ。

オリジナル三部作が一体何を残したのか?それは"伝説"だ。ルーク・スカイウォーカーやレイアたちは悪役であるシスを討ち、世界を救った。その伝説だけが残り、現代に熱狂的なファンを多く産み出した。世間はスターウォーズマーチャンダイズ(グッズ)で溢れ、色々なバージョンのDVDが販売されて伝説が流布されている(ちなみに、この伝説はバージョンごとに内容が書き換えられている、物語が人づてに変化するように。)

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劇中、ルークはレイにこう言い放つ。「私たちが”伝説”だ。もう戦いを行う必要はない」と。
スターウォーズ』という物語はご存知の通り、既に一旦物語は閉じられている。これは他ならぬジョージルーカスの手によって三部作として描かれており、銀河戦争は終焉したからだ。しかし、彼らの意思に反して新しい戦争のタネ、カイロ=レンは生みだされてしまう。本来であれば必要がなかったはずの新しいサーガの始まりだ。
ルークはカイロ=レンに恐怖し、殺そうとした。しかし本来の意味で殺そうとしたのはカイロ=レン自体ではなく、新たな銀河戦争のタネだ。つまり、ルークが恐怖したのはカイロ=レンではなく、スターウォーズの新シリーズなのである。
更にルークはこうも言う。「自分たちがいるから、ヒーローがいるからヴィランが生まれる、だから滅びるべきだ」と。江戸川コナンがいるから殺人事件が起こるように、ジェダイがいるからこそシスが生まれる。本作は改めてスターウォーズの核とは、銀河戦争がなぜ繰り返されるか、ルーカスという神無き世界で、続編がどうあるべきかと言うことを見つめ直す作品なのだ。

 

殺戮を楽しんでいるんだよ、貴様は

まずはじめに、「銀河戦争がなぜ繰り返されるのか?」という問題について考えてみる。これはファンの間でかなり問題になった点で、「ディズニーに買収されたから銀河戦争は終わらない戦争になった」と揶揄されていたし、事実ディズニー側も永遠に広げ続けると述べていた。

 

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しかし、本当にそんなことが原因なのだろうか?

フィンが物語の途中である目的を達成するためにたどり着くカジノのような惑星がある。そこでは兵器商人などの戦争の加害者達がカネに任せて道楽を永遠に楽しんでいるという。加えて、そこで脱出のために手に入れた宇宙船はそこの兵器商人のものだ。宇宙船に乗り込むと、その持ち主は帝国軍にも反乱軍にも武器を売って生計を立てていたことが明らかになる。
このシークエンスだが、全体的に忙しいシーンの多い『最後のジェダイ』の中では一件明らかに無駄な、進行の停止になるシーンだ。しかし敢えてこのシーンを入れたかった理由とは何か?それはこのシーンが「銀河戦争がなぜ繰り返されるのか?」という問題の解答となっているからである。

物語上では、彼らが武器を両軍に提供するからこそ戦争が続く、ジェダイやシスという表舞台の裏には彼らのような名も無き黒子が存在するということだ。しかし、僕が感じたのは、戦争が終わらない理由は他でもない、僕ら観客がいるからこそというメッセージである。事実、僕らファンは彼らの戦争をそれこそ道楽のように永遠に眺めているし、ヨーダを愛する一方でベイダーに心惹かれていたはずだ。
「殺戮を楽しんでいるんだよ、貴様は」とでも言うかのように、本作は過去作に比べて明らかに名も無き人間の犠牲描写が濃厚に、痛々しく描かれている。この映画は”見せつける”のだ。僕ら視聴者が観たい『スターウォーズ』の陰で、彼らがいつも犠牲になっているということを。事実、僕はカジノの惑星のくだり以降、これまでのように娯楽としてこの映画を観て、戦いによる犠牲に無感情でいられることができなくなっていた。

 

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よく言う話であるが、戦争が続く理由は英雄がいるからでも、悪人がいるからでも無い。戦争の本質は世の中の規範だ。スノークやルークが死んだとしてもこの戦争は永遠に続く。トカゲのしっぽが切られても新たに生えることと同じように。レイアも「戦争の犠牲者は英雄として存在するわけではない」と言っていた。本作は冒頭から色々な場面で名もなきものが活躍し、それによって物語が支えられる。レイもその一人だ。有名人はこの映画では徹底的に排除される。

神無き時代に生まれた新たな神

では、そんな世界で次にこの映画が答えるのは「改めて神(ルーカス)無き時代でのスターウォーズの続編はどうあるべきか?」という問題である。その1つの根拠として本作は過去三部作の時系列を巻き戻すように、更に事実を反転させて描いてる。

レイの親に関する告白

ホスに似た雪山での戦闘

爆発せず、犠牲も生まれない小型デススターとの戦闘

二つの月を眺めて消えるルーク

全ての過程を追って巻き戻し、文字通り原点に立ち返りながらそれらを覆していくことでスターウォーズを見つめ直していく。ジェダイやフォースに関する再解釈も同様で、元々はフォースは万物に宿るものであったはずなのに、シリーズを追うごとにそれらは才能ある特別なものに与えられるものになった(ミディクロリアンを参照、ちなみにこの部分は『Guardians of Galaxy Vol.2』でも言及されていた)。
スターウォーズはもともと『新たなる希望』では、天才たちの物語では無かったのだ。『帝国の逆襲』で後付の”真実”が明らかになるが、あの話以降、スターウォーズはスカイウォーカー一族の物語という閉じた話になってしまった、良くも悪くも。

新シリーズは『スターウォーズ』をスカイウォーカー一族から解き放ち、それらを一般人に、ファンに返す物語なのだ。だからこそ、本作ではローグワンよりも本当の一般人が活躍し歴史を作る。だからこそレイはスカイウォーカー一族ではなく、ただの人であり、本当に普通の人間が初めてヒーローとなってフォースを扱うのだということがわかる。ちなみに、レイが捨て子であったり、岩を持ち上げて道を作るシーンは神話を参考にしていると思われる。彼女は神無き時代の新たな預言者なのだ。

まあ正直脚本メチャクチャだし、カタルシスも無いわであんま万人受けはしないと思うけど、続編として大切な作品だったと思う。

 

以下、雑感

描写は犠牲に関するもの以外でもとても斬新で、特に最初の艦戦は斬新なカメラワークに溢れていたし、ハイパーブーストの扱い方がこれまでと変わっていたり、雪山の戦闘でも塩が美しかった。カイロレンが荒々しく塩を撒き散らすのと比較してルークが足跡一つ作らないのとかも良い。


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やたらハイパージャンプの着地シーンが多いなと感じたんだけど妙に既視感があって、それはライアン・ジョンソン監督の『LOOPER』でのタイムループ演出そのものなんだよな。もともとあれスターウォーズリスペクトだったのかな。
ちなみに『LOOPER』も『ブレイキング・バッド』も自分の罪を認めてその責任を問う話なんだけど、今作はルークが責任を取っていたね。

www.youtube.com

 
あとあのシーンのレイアとGotGのヨンドゥがもろにかぶった笑


ローグワン以上に名もなきものが活躍し、ローグワン以上に戦争描写がリアルで、ローグワンって一体...