ヒトトモノノ歯車

百万年くらい練習して、文章で飯を食う

VHSに拒絶された血と、テープに染み入る僕のミーム

No, I am your father.
Darth Vader / 『Star Wars EP5 ESB』

 

ジェダイへの道は極めて厳しいものだった。修行は幼稚園年長から小学校低学年に渡って続けられた。その頃、僕は下校の挨拶が済むとほぼ同時に家の自室に帰っていることができた。自室には僕が大人になった時も後悔しないようにと、母が選んでくれたデザインの良いデスクがひとつ。広くない子供部屋におしゃれなデスクは少し浮いていて、その存在の危うさを示すように、テレビデオと呼ばれた過去との交信装置がその机の不安定な位置をゆらゆらと揺蕩えていた。

テレビデオには、母から譲り受けた『スターウォーズ EP4』のVHSが常に挿さっていて、僕が自室に戻ってまずすることと言えばそのVHSの再生だった。ジェダイになるためにはどうしても必要な日課だったし、必要でなかったとしてもそうしていた。一応『スターウォーズ EP4』のあらすじを軽く紹介すると、ルーク・スカイウォーカーという辺境の惑星に住む農家の息子が、ひょんなことから銀河をまたにかける大冒険に巻き込まれるというものだ。彼を冒険に巻き込んだ張本人であるベン・ケノービは、かつてジェダイと呼ばれた光の騎士の生き残りであり、世界を征服しようとする銀河帝国を滅ぼす機会を伺っていた。ジェダイは帝国と戦うための能力を主に2つ有していて、それがフォースとライトセーバーだ。フォースは身も蓋もない言い方をすれば超能力で、その存在を信じて訓練したものには誰にでも授けられるはずのものだった。僕はこの映画を観てジェダイを志すこととし、日々そういった鍛錬を続けた。クリスマスに授かったライトセーバーを毎日振ったし、誕生日に貰った憎きダースベイダーのミニフィグを机の上に飾っていた。

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 テレビデオと言えばSONY

 

「いらない、もうみないから」

そういうわけで、僕はある程度フォースとライトセーバーが扱えるようになっていた。しかし、まだジェダイになるための資格は満たしていなかった。つまり、母は『EP5』と『EP6』のVHSを持っていなかった。僕の中でスターウォーズはデススターの崩落とともに完結していて、その先の展開は神のみぞ知るところにあった。ある時、母が「続きをみる?」と言った。僕がその質問に頷くと、母はどうやったか知らないが、残り2作のVHSを用意してくれた。実を言うと、僕はこの2作をそんなにみたいものとは思っていなかった。作品自体は『EP4』自体で一応完結していたし、かの憎きダースベイダーは少なくとも一日に一度、僕の手によって倒されていたからだ。用意された以上、親の前でそういった秘密の説明を行うわけにもいかず、素直に観ることにした。テレビデオから初めて『スターウォーズ』が押し出され、『帝国の逆襲』が吸い込まれていった。

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 テレビデオは『ジェダイの復讐』を吐き出した。結論から言って、僕は失望をしていた。『スターウォーズ』を知るものなら誰でも知っているであろう、”真実”を知ってしまったからだ。いや、僕はそれ自体に失望していたわけではなかった。正確に言うと、ルーク・スカイウォーカーの強さは生まれ持った血に寄るものだということに失望をしていた。結局、努力を成功に導くものとは天から与えられた才能であり、さらに言えばそれは予め遺伝子に刻み込まれていた。『EP4』の段階で、ベンの口からそういったことは示唆されていたので今更ではあるが、少なくとも小学生の僕には『EP5』を観てそう感じられたし、結果としてそれから再びライトセーバーを握ることはなかった。次の日からはハイパードライブを用いて瞬時に家にかえることもしなかったし、それを封印した。(現在はその封印は解いていて、遅刻をしそうなときはハイパードライブを利用して免れている。)更に追い討ちをかけたのが、そのしばらく後に観た『EP1 ファントム・メナス』だ。『EP1』で新たに神は「ミディクロリアン」を創造した。同作によると、フォースを扱えるか否かは産まれた段階で既に決定づけられていて、それは血中のミディクロリアン濃度によって測定されるというのだ。もうそこに新たに希望のつけ込む隙は存在しなかった。『スターウォーズ』は初めから天才たちの物語だったのだ。

小学校を卒業する頃、家をリフォームすることになり、家から荷物を処分、撤収させることになった。母は僕にリビングのテレビ台の隅に置かれたモノを指差して「あれどうする?」と聞いた。僕は「いらない、もうみないから」と言った。(ちなみに、この選択は後悔している。スターウォーズは今は好きな作品で、Blu-rayなどはある宗教上の理由により購入できないからだ。詳しくは「スターウォーズ ハン・ソロ 改変」などで検索するとよい。)

 

やっぱり銀河を守ることにしよう、ただの人間だから

ジェダイの道を諦めた僕は、 『スターウォーズ』とは人並みに付き合うことにして、「『EP7』それなりにおもしろかったなー」とか「『ローグワン』つまらなかったなー」とか適当な感想を垂れ流すようになった。今更打ち明けるが、この文章は『スターウォーズ』ではなく、『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』に捧げるものだ。

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敢えて書かないが、邦題は絶対に許さない

 

『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』は『アイアンマン』や『アベンジャーズ』を始めとするMCU(Marvel Cinematic Universe)の作品群の1つで、『スターウォーズ』のようなスペースオペラとジャンル分けされるSF映画だ。スターウォーズと同様に、且つただの真似事では済まされない素晴らしいセンスで宇宙を描き、観る者を圧倒させる。特に冒頭、オープニングロールの常軌を逸した映像は一見の価値がある。デザイン、音楽、セリフ運び全てから、本作がスターウォーズの単なるフォロワーであろうとするのではなく、勝負を仕掛けようとする気概が感じられる。

本作は仲間のあり方についても正直に問いただしていて、人生に失望した登場人物達が、それぞれの問題を解決するために友情を築くという王道のストーリーはMCU最高傑作の冠に恥じないものであった。随所にスターウォーズを意識していると感じる部分もある。しかし正直なところ、個人的には同監督の『スーパー!』を超えることはなく、心に深い傷を刻む作品には至らなかった。

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 『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』の監督が手がける傑作。SHUT UP CRIME!

 

敢えてはっきりというが、続篇『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー Vol.2』は真の傑作だ。僕はずっとこの作品を待っていたんだと見てすぐに確信した。救われた。本作は前作からの人間関係のあり方を更に発展させている。例えば、ドラックスというキャラクターは前作ではジョークの通用しないキャラクターであったが、続篇ではジョークがウケるキャラクターとなっている。直接的にそういった人間的成長を描くシーンは存在しないが、作品と作品の間にそういった成長が伺え、仲間同士の絆がより強まったことが理解できる。余談だが、先程紹介した同監督の『スーパー!』での名セリフ「(コミックの)コマとコマの間で起きてることなのね」が思い出されるものだ。『Vol.2』のオープニングロールを観て、映画の中のキャラクターたちと同様に、僕とこの映画との絆も年月を経て深まっていることに気づいた。なぜなら、この段階で僕は涙が出ていたからだ。前作のオープニングでは主人公は孤独だった。

ただ、本作は前作とはテイストが少々異なる(これによって前作より評価を下げる人がいるのも事実だろう)。前作が友情の物語だったとすれば,本作の主軸は親(父)子の物語だ。主人公のスターロードは父親を知らなかったが、本作ではついに父親と邂逅することとなる。また、劇中でYonduというキャラクターは「俺は考えてねえ、心だ」とスターロードに繰り返す。スターロードにとって彼は「考えるのではなく、感じるのだ」と説いたYodaそのもので、成長の機会を与える師(育ての父)であった。本作はシナリオの面でも、強く『スターウォーズ』を意識させる。

では、前作以上にここまで『スターウォーズ』に挑戦しようとするこの映画の狙う本質とは一体なんなのか。それは、スターウォーズと全く異なる結論だ。本作は『スターウォーズ』に一石を投じ、更にはそれを越えようとしている。事実、僕の中でこの作品は『スターウォーズ』を超越した。この作品が一体なにを伝えようとしているのか、誰を救おうとしているのか。それは観たヒトそれぞれに考えてもらうとして、僕はこの作品が歴史に刻まれることを期待する。そして、やっぱり僕は銀河を守ることにしよう、ただの人間だから。

 

ジェームズ・ガンは銀河で一番良いオープニングを作る監督ということで異論はないよね?

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