ヒトトモノノ歯車

ヒトトモノノ歯車

百万年くらい練習して、いつか文章で飯を食う

MENU

ファイナルファンタジーXVは本当にファンタジーだったのか? -明らかに破綻したシナリオの違和感とその正体-

f:id:Adw:20161214133918j:plain

 

会話ができない。

 

僕がFFXVを初めてプレイしたとき、というかジャッジメントディスクをプレイした段階で本作に対していきなり感じた違和感はそれだった。

はじめに、僕がドラクエやFFなどのRPGをプレイする上で、新たな街に訪れた時に必ず行う作業を列挙したい。

  • 街の入(出)口がいくつあるかを確認する
  • 全ての人間と二回以上会話する
  • 宝箱(場合によってはツボなども)すべてチェックし、アイテムを収集する
  • その街の物価(宿屋の値段など)を確認する

これらが僕が街に来て、最初にしないと気が済まないことなんだが、当然これはゲームについてのみの話だ。例えば僕が初めて池袋に来た時に

「へーここが池袋か。他の街に行くための道は...うーん...キリがないなあ...」

なんて事は考えないし

「こんにちは! ここは埼玉県民と中国人の街、池袋よ!(失礼)」

なんて池袋について今更教えてくれる人もいないはずだ。当然、他人の家に盗んでくれと言わんばかりに宝箱がおいてあることもなければ、物価なんて多少の違いこそあれある程度全国共通である。だから僕は、無意識のうちに今関わっている世界が現実なのか、ゲームのファンタジー世界なのかがわかっているし、それに応じた行動を取っている。

FFXVに僕が感じた違和感はそれだ。

なにが言いたいかといえば、FFXVに過去のRPG的なお約束的な要素は存在しない。核戦争後のアメリカですら、知性があればどんな人間でも話しかけることができた勇気のある僕(主人公,プレーヤー)は消え去った.FFXVでの僕は、限られたNPCと店員にのみ話しかけることを許され、一般市民から情報を得るには彼らが偶発的に行う会話を立ち聞きするしか無いのだ。

じゃあ物語序盤で訪れるガーディナと呼ばれるリゾート地で会話に耳を傾けてみよう。

「おなかすいたー」

「ここの味も結構イケてたなあ」

 

どうでもいい

 

 しかし他人の話はどうでもいいことこそが現実だ。

リアルな世界に『お約束』は似合わない

 FFXVは美麗なグラフィックで彩られた最新ゲームだ。ことコンシューマゲームに関して言えば最高レベルのグラフィックと言っても過言ではない、というかその通りだろう。美麗なグラフィックがもたらす物、それは間違いなく圧倒的な現実感だ。しかしゲームは現実ではない。その現実とゲームの境界を穴埋めするために、沢山の要素を持って観客(プレーヤー)を説得する必要がある。

食事をして、睡眠を取らなければ翌日に響くし(排泄だけは省略されているが、噂ではイケメンと美人は排泄をしないと聞く)、街では主人公の物語とは関係なく住人が生活をしている。これらの要素はゲームを形作る一要素であるし、同時にプレーヤーに対して、この世界がゲームではないと錯覚させるための説得手段でもある。一方で、前述した会話を始めとするRPGのお決まり的要素は全て省かれてしまった。これは、現実的な仮想世界で、リアルじゃない行為をすることは“現実的ではないから”だ。そしてこの徹底的な現実への誘致は、とうとうゲームのシナリオにまで牙をむくこととなってしまった。

本作は、シナリオがその説得のための一要素になったがゆえに、巷では『未完成』『破綻したシナリオ』『描写不足』などと叫ばれているように思う。なんどもいうが、ここで僕が考えているFFXVの目指したゴールとは『圧倒的な現実感,実在感』なのだ。これらについて思うことを書いていこうと思う。

f:id:Adw:20161214155051p:plain

誰もがこいつらを一人ずつ殺していくのだと思ったはず

明らかに破綻したシナリオの違和感とその正体

ここからが本題だが、その前に本作FFXVのシナリオについてごく簡単に整理してみよう。

  1. 白の国(ニフルハイム帝国)が黒の国(ルシス)を滅ぼした。(KINGSGLAIVE
  2. 黒の国(ルシス)の王は死に、主人公である王子は王の力を手に入れて、白の国から国を奪い返すことを決意する。
  3. 白の国もそれなりに資源や治安などに関して問題を抱えており、それを解決するための黒の国征服だったが、改善の前に宰相なんかが起こしたりした混乱のうちに自壊。
  4. 王子は白の国を倒すこともなく、個人的な恨みを晴らすためだけに現れた宰相一人だけやっつけて国を奪還。

だいたいこういう感じだったように思う。レイヴスなんかの描写不足については僕の過去の発言を追ってもらうこととして(僕が最も感動したキャラはレイヴスである)、それを差し引いてもかなり意味不明なシナリオだったはずだ。そしてこのシナリオの納得のいかなさ、違和感の最大のポイントは『まともなボス戦が無かった、復讐ができなかった』ことのように思う。

クリスタルを見張る四人の戦士たち

さて、この文章をここまで読んでもらって、二枚の画像を目にしてもらった。一枚目はFF4の四天王、二枚目はFFXVのニフルハイム帝国で幅を利かせる四人のメンバーたちだ。FFでは古くからクリスタルと、それらと対になる四天王の存在はある種のお約束要素だった。FF1ではリッチ、マリリス、クラーケン、ティアマット。FF4ではスカルミリョーネルビカンテカイナッツォバルバリシアだった。今作でもチャプター2終了時に、これ見よがしに登場して、今後の展開を予感させたのだ。ちなみにこのシーン、回想以外で主人公視点、もしくは主人公付近の視点以外で語られる唯一のムービーだったように思う(違ったらごめん)。

しかし、現実は違った。一人も倒さないのだ。一応戦闘するシーンがあったりもするが、それらは偶発的だったり本来の目的とは異なり、復讐のために殺すという展開は存在しなかった。他の演出から鑑みても意図的に期待を煽ったムービー、まともな人間だったら書きそうもない常軌を逸した達成感のないシナリオ。これらは何のために用意されたものだったのか。

f:id:Adw:20161215013502j:plain

ヴァーサタイル? え?誰...??

何を選択するのか

FFXVは『仲間との旅』を徹底的に意識した作品だった。前述した料理もそうだったし、豊富な仲間との掛け合いも『旅』を楽しませるためのものだ。圧倒的な現実感という世界観の構築の仕方も、自由にどこへ行っても良い『旅』だからこそ活きる。

本作では、前述したように回想以外では常に主人公視点、もしくは主人公付近の視点で物語が語られる。現実でもこれは同じで、『旅』は常に自分目線だし、同じ旅をした仲間(他のプレーヤー)の感想は本質的にはわかりようがない。それぞれがそれぞれの感想を得て、それらが今後の人生へと活かされる。ゲームに戻して言えば、ゲーム中に登場する仲間の感情は、自分の『旅』とは関係がないからこそ、今作でプレイアブルキャラクターはノクトのみだった。だからこそ例外を除いて、語られる物語(ムービー)も主観だった。再三言っていたFFXVが求める現実感も、全てこの『旅』の体験のために用意されたものだったと思う。旅シミュレータと考えるのがわかりやすいかもしれない。VRに対応するというのも、こう考えれば必然と言える。しかし、ここである問題に直面する。現実では自分は全知全能ではないし、一人の力は無力なのだ。

仮に主人公が全ての敵の大臣的なものをやってつけてまわったとしたら、すごい。いやすごいとしか言いようがない。魔法障壁とか必要ない。リアルじゃないのだ。絶対にコル将軍とかもっとたくさんの人がどっかで頑張って戦っているはずだし、途中で戦意喪失する敵もいるはずだ。加えて言えば、現実問題ある程度ヒントがあったといえ、嫁の兄が何考えてたかなんてわかるわけがないし、ぶっちゃけどうでもいい

このゲームが本当にすごいのはゲーム的価値をぶっ壊して、とにかく現実的に『旅』を体験させるために、邪魔なあらゆるものを排除しているという点なのだ。

f:id:Adw:20161215014114j:plain

仲間との旅は最高に楽しい

意図的に挿入されたムービーの意図

ではなぜ、一点だけ現実的ではない例の四天王のシーンが強調されていたのか。今までの文脈で言えば、このシーンはむしろ無い方が現実的だったはずだ。それは10章以降のリニアな展開と15章のためにあるように思う。

本作では10章以降、自由な旅を諦め、リニアな展開に移行する。そしてここからは、仲間たちを失っていく物語に移行する。ヒロインは死に、イグニスは視力を奪われ、プロンプトは消え、グラディオからは信頼を失った。KINGSGLAIVEや前述したムービーの時から煽られていた復讐に身を投じて、又は国を取り戻すという大義によって主人公は大切なものを一つずつ喪っていく。『旅』は唐突に終わりを告げてしまう。

『旅』を妨害するもの、それが本作における敵の正体だ。それは煽られていたユーザ自身の復讐心だったり、仲間より王として国民を大切に思う心だったり、はたまたゲーム的な快感を得るためのものかもしれない。しかし、はっきり言ってこれらのリニアな展開、全て面白くないのだ。特に13章はひどかった。その大きな原因は仲間が誰もいなくて一人だったからだ。そう、ユーザは旅が出来ないことを不快に感じる。このゲームはファンタジーではない、旅シミュレータだからだ。

そこで僕らには『旅』を選択する権利が与えられる。具体的に言えばクリア後、ラスボス前まで戻されて“15章”と称した永遠の旅を体験することができる。普通であればクリア後の世界探索は物語ではない。しかし本作ではユーザが能動的に行う旅こそが最後の章であると宣言している。そして、この15章が遊ばれたFFXVの世界では、永遠に世界に平和が訪れない。それは王が世界(現実)よりも終わりなき仲間との旅(ファンタジー)を選択してしまったからだ。

旅シミュレータとしての価値。ユーザが虚構の物語よりも、現実感に満ちた旅・自分で綴る物語に楽しみを見出すこと。それこそがFFXVの存在意義だったように僕は思うのだ。

「やっぱつれぇわ」

それは、物語よりも仲間を選択した決意の証だったのかもしれない。